2015年10月27日火曜日

「ちいさな哲学者たち」を見て



2010年のフランス映画、「ちいさな哲学者たち(JUST A BEGINNING)」を見た。
この映画、必見です。

フランスの幼稚園で、ある女性の先生が、4歳の子どもたちを相手に、哲学の授業をした2年間を追ったドキュメンタリー。
来年から小学校で哲学対話の実践を始めようと考えている自分にはぴったりの映画だと思い、期待を胸に見た。
期待以上だった。素晴らしかった。

机の無い教室で、子どもたちは円の形で椅子に座っている。
先生がろうそくに火をつければ、哲学の授業の始まりだ。
『友達とは?』
『リーダーとは?』
『頭がいいってどういうこと?』
明確な答えが無い問いに対し、子どもたちは自分の考えを口にしていく。
先生はその答えに「いい答えだね。」とか「それは違うんじゃない。」などの評価はしない。
ただ黙ってそれを受け止める。また、時には答えを深める問いを返す。

子どもたちが、抽象的なテーマについて対話をすることは、大きなハードルだと、僕は考えていたが、画面に映る幼稚園児たちは、いとも簡単にそれを飛び越えていた。
先生は言う。
『子どもは先入観なく熟考する。大人は「どんな意図でこの質問を?」と考える。そこが違う。』

『愛』をテーマにした対話では、離婚が話題に上る。
僕だったら避けたい内容だ。
しかし、先生は止めない。
「子どもの取り合いになるわ。」子どもは自分の意見を素直に述べる。
そして、話は女性同士の恋愛の話に変わっていく。
これもまた、自分だったら教室に持ち込まない話題だ。
『女同士だと恋にはならないの?』
先生は迷わず投げ返す。子どもたちは真剣に考える。

また『違いとは』というテーマでは、肌の色の違いが話題に上り、ある褐色の肌をした男の子はこう言う。
「黒人でなく白人になりたい。」
教室には、黒人も白人も混血の子もいる。しかし、先生は避けることなく、この話題を掘り下げていく。
『理由は説明できる?』
「黒人はきらい。」
「白人になりたい。白人のほうがやさしいから。」
「そのままの弟が好き。パパもママも犬も好き。」
ある黒人の女の子が話し出す。
「パパには目立つ障害がある。私のようには歩けないけど、できることがたくさんある。
パパは私を愛してる。パパと私はそのままのお互いが好き。」

同性愛、人種差別、貧富の格差…幼稚園児たちの対話は、今の社会が解決できていない問題を浮かび上がらせる。先生は、止めることなく、むしろすすんでそれを浮かび上がらせていく。子どもたちは、自分なりの答えを見つけようと考える。

哲学の授業では答えはない。先生は一切答えを提示しないし、ある方向へと意見を誘導するようなこともしない。
だからこそ、子どもたちは必死に考える。自分の答えを自分の中に問いてみる。そして、人に聞いてもらおうとする。周りの子どもたちはそれを聴く。友達の答えの中に、自分の答えのヒントがあることが分かっているのだろう。
わずか4歳、5歳の子どもたちが、素晴らしい対話をするのだ。

子どもたちには自ら学ぶ力がある。それを実感せずにはいられない。

僕たち教師は、いや、僕たち大人は、自分たちがいまだ答えにたどり着けていないことを、子どもたちから隠そうとしていないだろうか。
子どもたちに、「ねえ、どうして?」って聞かれて、うまく答えられない問いを、子どもたちから遠ざけようとしているのではないだろうか。
そうやって、実は何より、自分たち自身がその問いに向かい合うことを避けているのではないだろうか。

そんなことを考えた。

そして、自分自身が答えが出せていない、どこか遠ざけてしまっている問題と向かい合う覚悟が無ければ、本当の哲学対話なんてできっこないんだと、幼稚園児たちに教えられた。
「先生も答えが見つからないんだ。だからいっしょに考えたいんだ。」
子どもたちの力を信じられたら、それが言える気がする。

ぜひみんなに見てほしいなあ。それでみんなで感想を共有したい。