2016年12月31日土曜日

学ぶ場を選ぶということ

2016年も終わる。
2学期印象的だった授業を振り返りたい。

4年生の社会では、教室以外の部屋も使って授業をした。
と言っても、教室以外の部屋にみんなで移動して授業をしたわけではない。
社会の授業中は、教室以外の部屋に自由に移動して、学べるようにしたのだ。

教員は僕ひとりである。
どうやって授業をしたの?という疑問が浮かぶかもしれない。

実は、今年度の社会の授業では講義はあまり行っていない。
一般にやるような、先生が黒板にチョークで板書しながら、学習内容をかみ砕いて伝えていく、という形態はとっていないのだ。

子どもたちが自分たちで出し合った疑問を、各々で、時に協力しながら答えを探していくという授業をやっている。
4年生の社会の内容は、上下水道などの水のことやごみの処理、防災など、子どもたちがもともと生活の中で経験している内容を扱う。
身近なことなので、疑問も持ちやすい。
(疑問を文章にし、共有することは、本などを参考にして丁寧に行った。)
疑問が湧きさえすれば、知りたいという意欲も湧いてくる。
意欲さえあれば、僕が教えなくても、子どもたちは熱心に教科書を何度も読むし、補足資料を用意すれば、それもしっかりと読み込む。
そのうち、自分たちで資料も持ち込むようになった。

これまで自分の講義にはちょっとした自信があったから、講義をしないなんて授業は想像できなかったけれど、やってみたら、目の前の子どもたちがとても熱心に資料を読み、それをもとにレポートを書き上げるのだ。
(もちろん、苦労が無かったわけではないけれど。)
講義の気持ちよさを放棄するのはちょっとした抵抗があった。だけど、それよりもそんな子どもたちの姿を見られることのほうが喜びだった。
話を聞き続けることが困難な子が、集中している姿には驚かされた。

ただの自習にはならないように、子どもたちが関わり合いながら学ぶようには促していった。
と言ったら、なんだかたいそうなことをしたように思われるかもしれないが、基本的には授業中のおしゃべりはご自由にと伝えたり、関わり合いながら学ぶ意味みたいのをちょっと難しめにもったいぶって伝えたり、それを実感できるワークをしたり、ちょっとしたことを積み重ねていた。

ここまでが1学期の話。

2学期になって、自分が講義をしないなら、子どもが同じ場所に全員でいる意味は無いなと思った。
石川晋さんの本で書かれていた、校内の好きな場所で文を綴る子どもたちを想像したら、なんだか素敵で、それを真似てみようとも思ったのだ。

基本は教室で机をつけあってグループの形で学ぶこととした。
それに加え、教室に隣接したワークルームや多目的ホールを開放した。
PTA集会室はサイレントルームと称して、1人で集中したい人が行くおしゃべり禁止の部屋にした。

普段の授業で「自由なところで勉強してきていいよ」なんていうことは初めてだったので、とても緊張した。
自分の目が行き届かなくなることで、統制がとれなくなって、無駄なおしゃべりやわるふざけだけで時間を過ごす子が表れてしまったらどうしようとも思った。
そういう子が周りの子どもの学習を邪魔してしまったら台無しだ。
その懸念が強くあって、踏み出すことがためらわれた。

考えても懸念を払しょくできる案が浮かばなかった。
そこで、一番の正攻法?に出ることにした。
その懸念を子どもたちに素直に伝えたのだ。
すると、「大丈夫」との答え。そこでそれを信じて任せてみることにした。

やってみると、僕の懸念は的外れだった。
もちろん、騒がしくしてしまう子がいないわけではなかった。でも、騒がしいことが苦手な子は、別の場所に移動していくので、それが大きな摩擦を生み出すことは無かった。
騒がしくしている子も、聞いてみると、関係のないことで騒がしくしているわけではなく、学習内容のことをしゃべっていた。
これまでは、「静かにしなさい。他の人に迷惑だ。」なんて言ってたしなめていたが、「うんうん。そうか。なるほど。」とゆるやかに受け止めることができた。教壇からたしなめるよりも、傍らに座って受け止めるほうがずっと子どもが落ち着くことが分かった。講義をしていると、ひとりの子に時間を割くことは、講義を止めることになるが、講義をしなければ、僕の体は空く。子どもたち一人ひとりのフォローにたっぷりと時間を割けた。

サイレントルームとしたPTA集会室は、静けさが保たれていた。そこにはいつもは教室で騒がしくしがちな男の子が居て、窓際の気持ちのいい場所に机を動かして一人で黙々とレポートを書いていた。
彼にとっては普段の周りに人がいる環境が過刺激だったのかもしれない。

多目的ホールでは、6人くらいのグループになった子どもたちが、学んだことを劇にするといって打ち合わせをしていた。
広々としたホールは劇の練習にはぴったりだった。
学ぶ場を広げたことで、彼らの学習内容の表現も広がったように思った。

とにかく良い驚きの連続だった。子どもたちにとっても良い驚きが多かったようだ。2学期最後の授業で、「2学期の学習について」にというタイトルで文章を書かせてみると、学ぶ場を選べたことを肯定的に書いた意見が多く出てきた。

最終的には、子どもたちは1つの単元(学習のまとまり)で200枚以上のレポートを書いた。

「業(わざ)を授ける」と書いて授業。だから、僕たち教員は知識を伝達することに注力しがち。だけれど、学習に没頭できる時間を設け、学んでいく楽しさを感じさせることで、「学びの方法を身につけていくこと」だって大切な授業と言えると最近は考えている。
学ぶ場を選べるようにしたこの授業は、それをちょっと実現できたように思う。
それにしても、振り返って思うのは、子どもたちの「大丈夫」の言葉のありがたさだ。

去年何度も時間をとって話してくださった岩瀬先生、そして今年の岩瀬苫野講座で出会った人たちに勇気をもらった。一人では、これまで通りのやり方をとることで安心していたかもしれない。