久しぶりに家族4人で出かけたある日のこと。
大きな歩道で横一列に手をつないで歩く。
左から自分、長男、次男、妻。
長男がうれしそうに言う。
「サルパみたいだね!」
「サルパ?」
5歳の長男は滑舌が良くなく、彼の言いたいことを聞き間違えてしまうことがたまにある。
しかし、サルパ。
似た言葉が思いつかない。
くやしいが長男の言葉の翻訳は妻のほうがうまい。
でも、頼みの綱の妻も心当たりがないよう。
いったい何と言い間違えているのか。
「サルパ??」
「そう、サルパ。」
たしかに「サルパ」と言っている。
心当たりがない。
「えっ?サルパって何?」
「あのね、あのね。」
しゃべりが達者ではない長男。懸命に何か説明しようとしている。
「深海に住んでいるんだよ。こうやってつながるの。」
「へー。そうなんだ。」
正直、半信半疑。
家に帰ってくつろいでいると、長男が肩をつついてきた。
手には図鑑。
たしかに「サルパ」。横に連なっている。
「この前の深海生物のテレビに出てた。」
なるほど。熱心に見ていた番組だ。そこで知ったのか。
5歳の長男に教えられる。
彼は今生き物に夢中だ。
サルパ以外にも僕の知らないことをいっぱい知っているに違いない。
子どもは教えられることを学んでいくより、それよりもずっと、子ども自身の日々の生活のなかで、様々なことを知ったり学んだりしているんだなと思った。
僕は何かを教える時に、我が子や教室の子どもたちを「何も知らない存在」として扱ってしまいがちなんだけど、決してそうじゃないんだと思う。
子どもたちはすでに豊かな知識、世界をそれぞれが持っているんだろう。
「サルパ」の言葉にそんなことを思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿